巨人の坂本勇人選手の生い立ちについて取り上げて行きたいと思います。
週刊誌では女性に対する暴言やきつい扱いがとりだたされ
女遊びが好きでヤンチャなイメージを持たれている方も多いのでは無いでしょうか?
坂本勇人さんは外では遊ぶが真剣なお付き合いや結婚などは、考えられないような発言をされています。
そんな坂本勇人さんの生い立ちは、母子家庭で育ち、最愛の母親もガンで早くに亡くしてしまっています。
壮絶で同情、感動を感じてしまうような坂本勇人選手の生い立ちをとりあげていきたいとおもいます。
坂本勇人の生い立ちに同情!?母子家庭で育つ!?
坂本勇人さんは1988年12月14日に生まれました。
現在は33歳です。(2022年9月)
三兄弟の真ん中で、兵庫県伊丹市で育ちます。
兄に坂本勇太さん、弟に坂本勇斗さんがいます。
父親の坂本喜代三さんは会社経営をしており、坂本勇人さんが幼少期の頃からほとんどアメリカのシアトルで暮らし、年に1.2度しか帰ってこなかったそうです。
父・喜代三さん(中略)私は米シアトルで牧場経営に携わっていたため、年に1度か2度帰国する生活をしていた時期もあり、小さい頃の勇人と野球をした記憶はほとんどありません。
坂本勇人さんの母親は松村輝美さんと言います。
坂本勇人さんの父親とは別の姓になっているので離婚しているようです。
ですがほとんど日本にいない父親に変わり、女手一つで三兄弟を育てられたようです。
坂本が「小学生の頃から一番応援してくれた」と語る母は明るく、活発な性格で、米国へ単身赴任していた父の分まで育ててくれた最愛の人だ。小学生時代に兵庫・伊丹市の自宅から母に連れられ、兄弟で何度も観戦に訪れた甲子園。
坂本勇人選手は母親に対して
父親の分まで育ててくれた最愛の人だと言い、母親への愛情を感じます。
父親の坂本喜代三さんに対しても、ほとんど一緒には暮らしていないようですが関係は良好なようで
2018年に60歳で肺がんを患った父親に
『東京で超一流の医者を探す!手術受けや!』と申し出たそうです!
父親も2軍だった時から坂本勇人選手の試合を欠かさず見ていたそうです。
坂本勇人の生い立ちに同情!?最愛の母親をなくす
坂本勇人さんの母親の松村輝美さんは小腸がんで2007年6月47歳という若さで亡くなっています。
松村輝美さんは2006年の8月ごろに余命宣告を受けたようです。
小腸がんは症状が少なく、発見が遅れやすい癌のようです。
2006年9月には坂本勇人選手のドラフト会議があり、輝美さんは
息子に心配をかけないため、『がん』である事を内緒にしていたようです。
その後約一年の闘病生活を送ったことになります。
2007年5月12日イースタン・リーグの対北海道日本ハムファイターズ戦に、坂本勇人選手は闘病中の母輝美さんを招待しています。
坂本勇人選手は
おかんの体調が悪いっていうのは聞いていたので、最後の試合になるだろうなと思っていた…。
とコメントしています。
坂本勇人さんは第1打席の初球、坂本選手はいきなりホームランを放ちます!
さらにその後二塁打も放ち大活躍します!
この試合で輝美さんに勇姿を見せる事が出来ました!
息子の大活躍に、母・輝美さんは涙を流して喜んでいたそうです。
この試合の1ヶ月母輝美さんはなくなりました。47歳という若さで
最愛のの母親を亡くした坂本勇人さんは悲しく、苦しかったことでしょう。
坂本勇人の生い立ち
幼少期、小学校
坂本勇人さんが初めて野球に触れたのは幼稚園の頃のようです。
6歳年上の兄勇太さんの野球について行った事がきっかけのようです。
兄勇太さんのお下がりグローブをもらい、それが嬉しかったのだそうです。
左利きの坂本勇人選手ですが右利きの兄のグローブをもらった事で、右投げ右打ちになったそう。
小学校になる頃本格的に野球を始めます。
少年野球の昆陽里タイガース(こやのさと)に入団します。
小学校のころはなんと坂本勇人さんがピッチャーそしてメジャーリーガーの田中将大がキャッチャーとしてバッテリーを組んでいたそうです!
坂本勇人さんは野球を楽しんだり、悔しがったりを、表に出す活発なガキ大将だったと言われています。
小学六年生の県大会では準優勝し、投手と主将をしていました。
中学、高校時代
兵庫県伊丹市立松崎中学に入学しリトルシニアの伊丹市シニアに入団します。
中学時代の坂本勇人選手は天才肌と言われ、
相手チームからは『あそこ(坂本のいるショート)に打ったらヒット一本損をする』と言われていたそうです。
関西選抜にも選ばれ、高校は複数の強豪校から誘いがありました。
ですが、日常の素行がヤンチャで悪かったのか、中学校から推薦状は書けないと断られてしまったそうです。
結果坂本勇人選手は青森県の光星学院高校への進学が決まりました。
高校では一年生からショートのレギュラーとして出場しています。
高校時代は一度甲子園に出場しますが、チームとしてはすぐに負けています。
ですが坂本勇人選手の天才的な野球はスカウトの目にとまりドラフトではジャイアンツに入団が決まります。
ハズレ一位で巨人に入団したこともあり『ジャイアンツの皆さんってやさしいですか?自分、ちゃんと会話していただけるか不安で』とコメントしています。
今からしたら考えられない謙虚ぶりですね!
プロ生活
2007年プロ一年目では2軍の試合に癌で闘病していた母親輝美さんを試合に呼びます。
ホームランを打つ活躍をし、お母さんは涙を流して喜んだそうです。
2008年から現在まで2000本安打を達成するなど、球界を代表する選手となっています。